第4回 磐梯高原ウルトラマラソン 参戦記
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2008/7/5(土)
 平成20年7月5日 朝4時スタート 片山 範子
2008.7.18

100キロの部のコースは 標高550mの猪苗代湖畔 カメリーナ(体育館)から磐梯山中腹標高1200mまで登って下り、猪苗代湖1周60キロを走ってゴール、、、、制限時間15時間 

 他に 猪苗代湖1周コース 62キロの部  制限時間11時間

    天鏡閣 折り返し  42.195 フルマラソンの部 制限時間8時間

日本一の景勝地、磐梯高原を走らずしてウルトラを走ったとは言えない!・・

といった感じの心をくすぐるキャッチコピー

このパンフレットを監督(旦那)がもってきたのは、4月中頃だったと思います。

5月に夫婦で参加した、萩140キロの部は120キロで無念のタイムアウトでリタイア。

6月の しまなみ海道100キロ遠足 は 町内の祭礼の為、監督は参加することができずにお留守番で、私だけの参加(なんとか完走)でした。なので どうしても、監督としては この7月の磐梯は走りに行きたかったようでした。

「梅雨だから、きっと涼しいはずだよ。範子はしまなみで疲れていたら磐梯山登って下りて、猪苗代湖1周する前に止めればいいよ。だから一緒に行こう!」 と妙な誘い文句。

私はそうなると、3ヶ月連続ウルトラマラソン出場・・・?有り得ない、と思いつつも、温泉と観光に魅かれて、監督と同時ゴールを目指すべく参加することにしました。

そして、仲間を募ると、しまなみ海道で初ウルトラを完走したばかりの上村さんがお付き合いでフルマラソンの部に参加して下さる事になりました。後にこの事が監督にとって救いの神となるのですが・・・

さて、大会、前日の7月4日は上村さんが朝から磐梯入りして観光方々、レンタカーでコースの下見やらゼッケン交換やら一通りの手続きをして、猪苗代駅に夕方5時半に迎えに来て下さいました。その後 猪苗代リゾートホテルにて温泉にたっぷり夕食にビール。

そして、準備をして就寝。

座布団より大きい豪華朝食!
朝、2時半 ?? (深夜かも) ホテルで用意してくれた朝食をとりにフロントに行くと、そこには何とも立派な巨大重箱に豪華なお弁当。すもう大会に来たのか・・大食い選手権に来たのかと思う程の量でした。大きなおにぎり3個、から揚げ4個、サラダ、キンピラ、ひじきの煮物、焼魚、卵焼き、メロン。とてもじゃないが、朝3時前にこんなに食べられない・・でも、4時スタートの私達は、何とか半分程、お腹に押し込み、・・(8時スタートの上村さんもお付き合いで食べていました。申し訳ない・・)

さて、ここで会場まで、上村さんに車で送って頂き、スタート地点で準備。

そこには巨人軍団の斉藤さん、千代田の佐々木透さんのお友達のご夫妻からもお声掛け頂きました。他にも色々な方と雑談をしていました。

そこで、初めて、重大な認識不足を知らされました。石井さんという女性の方でしたが、

「ここは15時間制限だと思っていると、完走できませんよ。関門知っていますか?」

私達は全く考えていませんでした。15時間制限を鵜呑みにしていて、安心していたので、びっくり!  

 「ここは80キロ地点は12時間ですが、なんと90キロ地点はその1時間後の13時間で通過しないと関門アウトですよ。だから、80キロ地点には11時間ちょっと、で行くつもりじゃないと危ないですよ。15時間制限の大会とは名ばかりですので、気をつけて走ったほうがよいです。」と教えて頂きました。

4時の時報を合図にスタート。上村さんに見送られて、元気に走り始めました。

軽快に走る
最初の方は、街中で平坦、そして、やがて磐梯山の方向へ向かうととても緩やかな登り坂が・・・走れる登り坂が始まりました。監督とは7キロくらいまで一緒に走っていましたが、登りがきつくなる前に先に行ってもらうことにしました。そう、前回の萩で学習しました。夫婦別々に走ったほうが、後々お互いに相手のせいに出来ないし、マイペースで走れるのだと・・

さて、早々と、一人になった私は、「遅いぞ!」と文句を言われる事もなく、自由な気持ちではあったのですが、何しろ、登り坂しかない・・ひたすら、足を前に出しても、体が重い、その上、又 トイレの不安もあり、お腹を押さえ、恐る恐る走り、トイレにたどり着いた。ホッとするのもつかの間・・又、どこまで続く坂、頭の中は「次のトイレは?」

行きたいわけでもないのに、そればかり心配になってきた・・そういえば、100キロの部は360人近い参加者の内、女性はたった40人・・女性はやはり長い距離は不利なのかな〜  とか、今思えば、私の気持ちはすでに走る事から逃げつつあったようでした。

そして、段々、日差しが出てくると今度は、給水が問題となりました。

無人エイド
確かに有人のエイドもあるが、その間には 無人の給水所が、ふとみると、それは、大きなバケツに水がはってあり、ひしゃくが1本はいっているだけ。その横に、小さいバケツに小さいひしゃくが1本。・・・コップはない。どうも前の人の真似をしてみると、大きいバケツの水は頭から体にかぶる為のもの。小さいバケツは飲む為のもの。でも、最初はためらう・・エイッと1回かぶってしまえば大丈夫。ただ、飲み水は 再びためらう・・何故なら、だいぶ前から置いてあるので、遅い私の通る頃には、300人は通過しただろうか? バケツの中にはホコリと虫がチラホラ、、おまけに横の大きなバケツからかぶっている水が飛んできて飲み水に入るようでした。でもありがたい命の水・・大げさではない。この暑さの中、飲まなくては危険と判断・・ホコリと虫を避けながら、ひしゃくで掬い、恐る恐る、ゴ、ゴクリ。

これで何とか走り続けることができそうでした。大会要綱には自分で飲み物のボトルを持って走るように、との注意があり、500mボトルはもっていましたが、すでに空に近く、こうするしかありませんでした。

その後、有人のエイドではスイカやら色々と用意してあり、有難いサービスが沢山ありました。そして1つおきの無人エイドは、サバイバルに短時間に虫をよけて掬って水を飲む事をマスターしました。「な〜んだ。人間って意外と丈夫にできているものね。」 

さあ、いい加減、登りが嫌になり、次に考え始めたのは、いつ止めようか?、そして監督になんて言おうか?山を下りたら止めよう!堅く決心した自分がいました。 そして、28キロでようやく頂上(八方台)に。通ってきた、五色沼や桧原湖、素晴らしいリゾート地、一度来たいと思ってはいたものの、まさか自分の足で走って上がってくる事になるとは・・・トホホ。こんなのリゾートじゃない!・・

これって、約30キロ、青梅マラソンの距離がズ〜と登り坂だけって事と一緒だよね・・・疲れた〜。  でも、「やった!」後は得意の下り、制動かけずに転がるように下り始めたら、何かワクワクしてきました。「楽しい〜コレなら、やはり完走しなくちゃ・・」なんともゲンキンでありました。何人も抜いて走る。 どうも私の体は登りに拒否、下りに快感を感じるように出来ているみたいでした。そして更に 10キロ程下ると、下りでもいいかげん疲れてきました。猪苗代湖畔かと思ったら、又、登り! 「エッ聞いていないよ〜」 そこで再び戦意喪失しつつも、ヘロヘロ走り・・前後の人はまばらしかいない・・これは相当遅いみたい・・

さて、下ると今度は暑さとの戦いが本格的になってきました。

もう、かぶるバケツの水と飲み水のバケツの区別もいい加減になっていて、女も捨て、男の人と並んでバシャバシャ水をかぶり、ろくに食べず、走っていました。(歩くような速さになっていましたが) 

そして、45キロのエイドで、役員の叔母ちゃんが、『片山さんの奥さんですね!ご主人から、伝言がありますよ。ここで、しばらく奥さんを待っていましたよ。15分くらい前に行きましたよ』 との事。そこで、電話をしてみると、監督もへばり始めたようでしたが、意欲はまだまだあるようでした。 追いつけるかわからなかったけど、もう少し頑張ってみよう!と勇気がわきました。やはり、傍で文句言われながら走るより、夫婦は別々に走った方が良いようです。

元気バリバリの上村
さて、予想外のアップダウンを繰り返し、50キロ過ぎる頃、気温28〜30度の中、物凄い暑さを感じる中、フルの部の上村さんとすれ違いました。とても元気そうで、初ウルトラの疲れは残って無いようでした。その時、私と監督の距離が近い事を聞き、これなら追い着くかな?と、又、頑張れそうな気がしてきました。

そこから、段々、日差しがひどく、日陰の全く無い道、給水も無い状態が続き、フラフラしてきました。日よけの布なんか意味もなく、顔がチリチリ焦げているような感じでした。後できいたら、何キロか先を走る監督の足に異変が起きたのもその頃だった様でした。

前後の人は見当たらず、時間も考えると、例の関門に間に合わない事が段々、確実になってきたのと同時に、戦意も失せてきました。10時間近く走った、62キロのエイドで私はもう、止めることにしました。心の中に、はなから3ヶ月連続ウルトラは無理!という甘えがあったのです。その甘えが敗因でした。そして、ウルトラは今日で止めよう!と・・・決心しました。えっ、前にも何度も思ったっけ・・

力を振り絞り、頑張る監督
私は、「関門に間に合わないのでリタイアを決めた」、と、監督に電話をしました、監督はまだ、続行するとのことでした。何度も足が痙攣して、足が攣ったまま、何度も倒れて、又、復活しては走っていたようでした。やはり、意気込みが違うのだと実感しました。

さて、リタイア後、コース上を収容車で走っていくと、65キロ地点くらいを監督は汗だくで走っていました。関門に間に合わないのに頑張っている・・と思うと、ちょっとだけ見直しちゃいました。

さて、ゴール地点で連絡を待っていると、そこはトン汁やら、おもち、500mビールサービスやら振舞われ、いたれりつくせりでした。本当は90キロ地点でソフトクリームサービスも有ったはずだとか・・ビールもお預けのまま監督の迎えに奔走して下さっている上村さんに申し訳ない、心から感謝しつつ、一足先に、有難くビールを頂きました。以後 、上村さんの頭に後光が差して見えました。…いえ、決して頭が光っているわけではありません。」

フルの部では皇居で良く走っている小島さんが7時間でゴールしてきました。

皇居で見かける、小島さん
そこに、監督から電話がありました。12時間くらい走った、71キロ地点で一歩も動けないぐらいにひどく足のふくらはぎが攣り、倒れてしまい、呼吸もおかしい状態となり、遂に監督もレース続行できなくなったそうです。フルを完走した上村さんに車で迎えにきてもらい、収容して頂いたようです。

結果は夫婦惨敗でしたが、その間、監督も、友達ができたようですし、並走した方の写真を撮ってDVDを送らせて頂き、交流できたり、私も何人かの方と楽しく話しができました。特に一緒に収容された方との話、フルも走ったことのない、初ウルトラの方の無謀な挑戦体験を聞き、楽しい会話が思い出になりました。

特に、この磐梯は、地元の方が手作りで運営され、試行錯誤の改善を繰り返し、第4回を迎えられたとの事。リタイアを決めたエイドでは、役員の方が、『この大会はどうでしたか?  他の大会と比べて何か改善することはありませんか? 来年も絶対きて下さいね。』とか、とにかく頑張っている地元の姿、が印象的でした。振り返ってみると、サバイバル給水も、エコの一端を担っているのです。紙コップが道に散乱することもありませんし、エイドの数と全部門の参加人数からすると、1万個以上のコップを使わずにすむのです。

素晴らしい大会です!

今回は上村救急隊に助けられ、帰り着き、レースも終了となりました。

大内宿の古い町並み
温泉、ビールに癒され、翌日は監督も足は痛いといいつつも、桧原湖に再び観光に行き、大内宿の古い町並みも歩き、宿場住民の方の保存の為の努力を知りました。(大資本の会社に)売らない、壊さない、(新しく)造らない、の住民憲章により堅く守られているのでした。、熊肉料理にも挑戦、絶景の塔のへつり見物、観光三昧で 完走は出来なくとも、磐梯高原、会津の良さ、たっぷり満喫してきました。

当然、帰りの電車では、『もう、来ないから磐梯山も見納めだね。』 と萩の時みたいに

懲り懲りムードでした。すかさず、上村さんが、「2〜3日すると、次はどこ行く?とかいっていますね。来年も又、磐梯に来るのでは?」

私達の頭の悪さは見透かされているのかも・・・

案の定、監督は帰ってからというもの、反省しきり。今度は萩の時と逆の結論でした。


『あの時、範子を置いていかないで一緒にゆっくり走っていれば、後半、あんなにダメージが来なかったはず・・・範子と走ればよかった。』 だって・・・・!!!

全く・・・

勝手な愛に翻弄された私は・・ウルトラに疲れ果てました。なんちゃって、

この年になると、愛なんてどうでも良いのですがね・・・

監督の反省によると、前半の飛ばし過ぎが、後半、足の痙攣に来たそうです。

でも、やはり、暑さによる、脱水症状?塩分不足、カリウム不足?よく分かりませんが、体の何かが欠乏してのダウンだったのでは・・と私は思います。

そして、私達の反省すべき点は、「走力と関門」 しっかり照らし合わせて計算しなくては・・

私にとっては14回目のウルトラでしたが、回数を重ねる毎に緊張感がなくなり、

油断、甘さ、反省しなくてはならない事だらけです。

さあ、磐梯から早2週間たち、ウルトラは懲り懲りの筈でしたが・・・

次はあるのかないのか・・・皆さんの予想は???

最後に一言で私の感想を・・

『暑いぞ! (志も熱い) 福島 ! 』

P.S

萩のリタイア記の後、しまなみ完走記も書かずにいたので、又、磐梯高原リタイア記、では余りにもみっともなく、記す事をためらいましたが、森岡さんより、是非、磐梯について、教えて欲しい、との要望がありましたので、恥を忍んで書かせて頂きました。

笑って一読して頂ければ幸いです。

そして、是非、来年は皆さんが磐梯高原の風(バケツの水ではなく)を浴びて、地元の方との交流を楽しんで頂ければ、と思います

片山範子

count: カウンター